稲庭饂飩 無限堂 オフィシャルホームページ


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 現代では『日本三大銘うどん』として知られる稲庭うどん。その製造方法が確立されたのは350余年前。

 

稲庭うどんの歴史は古く、寛文五年(1665)までさかのぼります。
秋田県南部に位置する現在の稲庭町は、雄大な栗駒山をのぞむ山々に抱かれ、
澄んだ空気と清冽な水に恵まれた、良質な小麦の産地でした。
これに着目した藩主が、稲庭の村人たちに命じて、うどんを作らせたのが始まりで、
藩主への上納品として納められていました。

 

宝暦二年(1752)には、藩を代表する名産品として藩御用達となり、
藩主の江戸出府に際しての贈答品として使われ、
その美味さは将軍家や各地大名にも絶賛されたと言われています。

 

明治になってからは、もっぱら宮内省(当時)に上納されました。厳選された材料と熟練の技で作られる稲庭うどんは、超高級品としてもてはやされ、
一般庶民が日常の中で食すことはたいへん難しかったと言われています。

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 「無限堂」の名の由来は、設立者である大島家に守護神として龍神社があり、この龍神さんを「無限白龍神」と称していることからきています。当社の製品に描かれている白龍もこれに由来します。

 

この龍神さんに「無限白龍神」の名をつけたのが秋田出身の日本画家「舟山三朗」画伯で、21歳で帝展に入選してから「無限」「田沢湖伝説」「春の月」など優れた作品を多数生み出し、日本画の偉才と称された方です。

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